神戸発祖母ログ


後期高齢者の日々・・・
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10月25日(月)

<黒ゴマのアイスクリーム>
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逸品です。山手幹線沿い、住吉3丁目の交番所の近くにあんかけやというおうどんやさんがあります。
そこで、おうどん食べた後、この店特製のゴマアイスクリームを食べます。
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by namisanid | 2010-10-25 14:59

10月13日(水)

<阿吾地を偲ぶ会>

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「阿吾地」は、現北朝鮮の北の端。中国・ロシアの国境に近いところにある地名です。
終戦まで私達は「阿吾地」と呼んでいましたが、新しい体制になって何と呼ばれているか知るよしもありません。
戦時中チッソは「阿吾地」と呼ばれていたところに新しい工場を設立しました。
辺りは、石炭の宝庫と呼ばれていたところです。
石炭から石油を造る・・人造石油会社・・を設立しました。
昭和11年のことです。
昭和16年、太平洋戦争が勃発する数ヶ月前に、私の父は母と私を伴って宮崎県延岡市にあったチッソの勤務地から朝鮮へ転勤いたしました。
最初の赴任先は、「阿吾地」より南、38度線に近い所にあった興南工場でした。
その後」阿吾地」へ移動し、昭和18年、私は阿吾地の会社の敷地内に従業員子弟のために建てられた小学校へ入学いたしました。
小学校の名前は「灰岩(はいがん)小学校といいました。
灰岩は阿吾地の別名でもあったようです。
当時の資料を調べていますと
会社の工場名も灰岩工場と呼んでいたようです。

昭和20年の8月9日、私たちは「阿吾地」の社宅から脱出いたしました。
日ソ不可侵条約を破棄したソ連が突然攻め入ってきたのです。
ソ連が不可侵条約を破棄するなんて、日本人のだれが考えていたでしょうか。
しかし、後で考えると、我々を守ってくれるはずだった日本兵は阿吾地周辺からほとんど姿を消していました。
彼らを頼ってまず避難場所に選んだ兵舎はすでにもぬけの殻でした。
軍の上層部には、ソ連軍が攻め入ってくることがわかっていたようです・・・。

「阿吾地会」は阿吾地の社宅に住んでいた人達が終戦後50年を経て作った会です。
人伝に呼びかけて全国津々浦々から集まった人達が、発足当時500名ほどいたそうですが、年を追うごとにその数は減り今では数数十名となりました。
数年まえから前述の灰岩小学校の同窓生らが阿吾地会に加わり「阿吾地会」を盛り立てきましたが
盛り立てるべく当時の子ども達も高齢化が進み、いよいよ「阿吾地会」の存続が難しくなり、会を発足させ守り続けてきた初代会長の逝去に従って2002年にいったん会を閉じました。

その後、北朝鮮に暮らしていた仲間たちの会「清津会」などに合流させてもらったりしてましたが
いずこも、高齢化が進み会の存続があやぶまれるようになってます。

私達「阿吾地組」の生き残りは、2年前」、偲ぶ会と控えめな名前で再デビューを計りました。

昨年、今年は八重洲富士屋ホテルで。
近年、東京ステーションホテルを使ってましたが、改装にはいりましたので東京駅周辺で宴会が出来る場所として富士屋ホテルを選んだのです。
何しろ会員が南は九州、北は北海道に住んでおりますので・・・。
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by namisanid | 2010-10-19 11:07

10月1日(金)

<芦屋モノリス・ランチコンサート>

TさんSさん主宰のランチ・コンサート今年で3回目。
今年も定員130名のホールに127名が集まりました。
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by namisanid | 2010-10-05 23:53

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