神戸発祖母ログ


後期高齢者の日々・・・
by namisanID
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6月24日(水)

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鯉が窪湿原(こいがくぼ)

西の尾瀬沼と呼ばれているところ。
岡山県新見市哲西町・岡山県と広島県の堺にあります。
この地帯に300年前、潅がい用水池として築造された池の形が、鯉に似ていたところから鯉が窪とよ呼ばれるようになりました。
この池端を一周するには、2時間かかり、300種類を越える植物が自生しているといわれています。

6月10日にバスツアーに参加して行ってまいりました。

花の見ごろは7月、8月でしょう。

私は、暑くならないうちにと思って行ったため、多くの花々に出会うことはできませんでした。

写真の花はハンカイソウ(キク科)です。



 
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by namisanid | 2009-06-30 11:04

6月10日(水)

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「阿吾地を偲ぶ会」

「阿吾地」は、現北朝鮮の北端にあった地名です。大韓帝国時代からそう呼ばれていたのか、日韓条約が成立し日本が朝鮮半島を領有したときにつけられた地名かわかりませんが、戦時中、私が両親とともに暮らしていた頃は阿吾地(あごち)と呼ばれていました。
いま、なんと呼ばれているかはわかりません。

阿吾地に住んだのは、父が勤めていた会社がそこにあったからです。
石炭から石油を作る人造石油会社として、1935年ごろ設立された会社でした。
終戦間際は、日本帝国海軍の御用会社になってました。

後で知ったのですが、石炭油化は実用化に至らぬまま敗戦を迎えたのでした。
副産物としてできたメタノールが日本一の生産高を誇ったとか・・。

1945年8月9日、日ソ友好条約を破棄したソ連軍が満州、現中国及び現北朝鮮に攻め込んできました。

これは、われわれには「寝耳に水」の出来事でした。
この日、長崎に原爆が落とされたことはおろか、6日廣島に原爆が落ちたことも知りませんでした。

ソ連に近い「阿吾地」はすぐに危険な状態になり、われわれは、着の身着のままの状態でいったんは山に逃げましたが、二度と我が家へもどることなく徒歩で南下することになりました。
海軍の御用会社でありながら、海軍中将が社長でありながら、ソ連参戦は寝耳に水の出来事でした。
つまり、陸軍は情報を隠していたのでしょうね。その証拠に、そのとき満ソ国境にいて我々を守ってくれるはずだった日本の軍隊はすでに撤退していたといいます。理由は、南方が危ないのでそちらへ向かったと言ってますが・・・。
敗戦を予期して日本軍の逃亡兵が多くでたようです。それら逃亡兵の員数合わせのために引揚げ途上の民間人を無理やり徴兵し、徴兵された彼らのほとんどは数日後、捕虜としてシベリヤに連れて行かれております。シベリヤから生きて帰ってこれた人はほんの僅かです。

無事帰国できた「阿吾地」の会社に勤めていた人達が、はじめて集まったのは、戦後35年経ってのことでした。日本人の社員が少なくとも3000人はいたであろうといわれていますが、帰国できた人の数は把握できてません。日本の親会社などを通じての調査では、500人ほどは確かに帰国できたらしいとのことです。東京で開かれた初めての会には、111人集まっています。

以後、15回ほど集まりを持ちましたが、会を纏めてくれていた人々の高齢化が進み5年前「阿吾地会」はいったん解散いたしました。

私はがその会に顔を出し始めたのは、50代のころでしょうか。
引揚げ時小学校3年生だった私は当時積極的に集まっていた人達からみれば最若手でした。
多少とも、引揚げ時の記憶が残ってる者として最若手だったということです。

もう一度、阿吾地で一緒だった人たちに是非会いたい、この春、新潟で暮らすTさんよりおたよりをいただきました。終戦時、彼は20歳でした。

彼の発言をきっかけに、6月10日東京周辺に住んでいる人々を中心に集まりました。
北海道、九州から飛行機で来る人たちのために東京駅周辺のホテルを会合場所といたしました。

25人集まりました。80歳以上が8名ほど、後は当時の子どもといっても70半ば、過ぎ。
当時2歳だった人が一人いました。老人と(60歳以上)と3歳以下の子どもは生きて帰れないであろうといわれていた過酷な引揚げ体験の中で、彼女は生きて帰ることができたのです。

「また、お会いしましょう。それまでお元気でね」と言い合って散会いたしました。
夫々胸の中で「これが最後」とつぶやいておられたと思います。
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by namisanid | 2009-06-28 09:47

5月31日(日)

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加茂~浄瑠璃寺へ

JR加茂駅から浄瑠璃寺へハイキング、2度目の挑戦でした。
浄瑠璃寺という美しい言葉に惹かれ永年「ぜひいきたいところ」になっていました。
ふとしたことが、きっかけで想いを晴らすべく実行したのがひと月ほどまえでした。
冷たい雨がしょぼしょぼ降ってました。
インターネットでハイキングコースを仕入れ、頭の中に叩き込んで出かけたつもりでしたが・・・。
3時間以上歩き回った末、やっと辿り着いたものの、帰り奈良行き最終バス発車10分前。
浄瑠璃寺に入ることなくそのバスで奈良へ戻りました。
がっかりして歩いて戻る元気が残ってなかったのです。
2度目の挑戦も、すんなりといきませんでした。
ハイキングコースというものの、車で行くのがあたりまえの道らしい・・。
村人に浄瑠璃寺とその周辺の石仏やお寺を訊ねる度に、歩いていくのか?と怪訝な顔をされました。
ハイキングにコースとしては、申し分ない素敵な山道なのですが、道標のないところを歩くので不安でしょうがなく周りをゆっくり楽しむ気分になれませんでした。
まず、岩船寺(がんせんじ)という由緒あるお寺に無事に着き、さらに40分ほど歩いて
目的地浄瑠璃寺へ。(歩き始めて約3時間)
道が違っていたらしく石仏には会えず。
蒸し暑い夏が過ぎたら、3度目の挑戦をしようかな、と思っております。
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by namisanid | 2009-06-09 05:47

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